ワーキングプア。この問題に政府はどう対応するのか。

 石川啄木が『一握の砂』で「働けど働けど 猶我暮らし楽にならざり ぢっと手を見る」と歌ったように、これと同じ生活が現在も繰り返されている。石川啄木の実生活は芸者遊びや生活感覚の無さから来る借金地獄のようであったが、現在の貧しき人々は石川啄木よりも遥かに貧しいのである。

 貧しいといってどの程度の貧しさか。生活保護世帯より貧しいのである。その数400万世帯以上とか。また、非正規雇用の労働者は労働者の3人に1人。昔は真面目に働けば、家庭を持って、子供を育てられる環境にあったが、現在は違うのである。このような人々をワーキングプアと言うらしい。先日のNHKスペシャルで初めて知った。

 ワーキングプアにはどのような人々が含まれるのか。正社員になれない若者。古い商店街の店主。中堅兼業農家。いたるところに存在している。働く気もあり、実際に働いているのだが、ギリギリの生活で税金や保健も払えるか、払えない瀬戸際の状態。

 この状態を長く放置しておくと将来は社会が彼等の面倒を見なくてはならないのである。働いても自立した生活の出来ない社会に既になってしまったのである。国民年金の未加入の多さが問題になっているが、これは国民年金の将来性への不信感だけでなく、払おうにも払えないワーキングプアの影響が大きいのではないか。

 地方の古い商店街は、どこも寂れている。家の近所の小さなマーケットも潰れて、現在ではチェーン店のマーケットが流行っている。古いマーケットには10家族位が店を長年開いていた。現在のチェーン店はパート数人の雇用しかない。では、商品が安いかというと決して安くない。こんな状況にしたのは大店法でどんどん自由にチェーン店の出店を許したからだろう。要するに中小小売店主や古い商店街を潰す政策を自民党が計画的に実施してきた結果が現在の姿なのである。
 弱いものを潰して強いものだけをはびこらせる政策の結果なのである。

 日本の社会をどのような社会にしたいのか。現在の小泉や竹中は弱者を増やしてでも国力を維持すると言う明治新政府の富国強兵策を継続している。
 国がいくら富んでも貧しい家は娘を売り飛ばさなければ生活できなかったのと同様、100年前の政策をまだ続ける気なのか。私には正気の沙汰とは思えない。

 ではどうすればよいのか。それを考えるのが、政治家だ。
 全然彼等には期待できないが。
 (2006年8月6日記)

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